月別アーカイブ: 2016年6月

くせになります!

またまたラーメンです!

会社の同僚に教えてもらったラーメン屋さんに行って来ました。

ここはジャンボ餃子が有名なお店とのことでしたが、食べきれる自信がなくラーメンを注文。

ジャジャ~~~ン!

ラーメンだけでもこのボリューム!

昔ながらのしょうゆ味でくせになる味でした!全部のせラーメン

ビアガーデン

今シーズン一発目のビアガーデンいってきました~

高島屋のビアガーデンで、梅雨の合間の暑い日だったので満席でにぎわっておりました。

季節もののイベントは楽しいですね~

次はモントレーのビアガーデンだ

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田園プラザかわば

経営企画部の野澤です。

先日、川場村にある道の駅「田園プラザかわば」へ家族で行ってきました。

道の駅というカテゴリーではなく、テーマパークに近いような感じでしょうか。

地元の名産品売り場や各種の飲食店があり、こどもの遊び場もありました。

食べ物がどれもおいしく、芝生でのんびりと過ごせるのでおすすめですよ~。

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ビフォー・アフターのような感じでしょうか。。

この4月に生まれた2人目の息子くんも早いもので2ヶ月と半月ほど経ちました。

最初は腫れ物に触るような感じだった長男くんも、

機嫌が良いとサイキンではこんな感じに弟とのスキンシップ

↓↓↓↓

大輝と祐輝_ビフォー・アフター

 

 

 

 

 

 

 

親目線ではとても良く似ているように見えますが、いかがでしょう。

まるでビフォー・アフターのようです。

その男、タモリ。(本日の閑話は、わたしがゾクゾクした物語。)

わたしの記憶では、タモリがまだテレビに出始めた当時、「なんか不思議なおじさんが、ひょっこり出て来て、まだだれもやったことのない芸をやってる」という印象だった。その芸の中で、わたしの記憶に強く残っているのは、「レコード」(その当時はレコードでCDはまだ存在しなかったと思う)をおもむろにかけ、回転し、音楽をタモリ山下洋輔鳴らしている、レコードの前で、一流の指揮者よろしく、タクトを振るという芸である。それを見て聴いているうちに、ほんとうにタモリの指揮に従ってレコードが演奏しているような錯覚に陥ってしまう。
そもそも、タモリが芸能界へ登場し、これほどまでの芸人になる、最初の入り口が、信じられないほど、不思議で、ばかばかしく、運命のようなものが漂い、なるべくしてなったと思うような錯覚にさえ陥りそうな、まったくもって、わくわくぞくぞくするような物語のはじまりはじまりのような、ヘンテコです。そうです、このとき、タモリという芸人のたまごから、これまでまったく味わったことのない、不思議なちからをもった、芸人のたましいが、爆発したのです。このとき、日本のテレビ界、芸能界にとって、歴史的な、なにか、が動き出したのです。

タモリ赤塚タモリの恩人である赤塚不二夫の告別式では、「私もあなたの数多くの作品の一つです」と弔辞を読み上げたそうです。そして、7分56秒にも及ぶ弔辞を、手にしていた紙を何度も見ながら時折涙声で読んでいたそうですが、実は、その紙は何もかかれていない白紙がったそうです。これぞ、タモリです。

こんなことを思ったのは、最近ラジオで、山下洋輔というジャズピアニストの話を耳にしたからです。この人も、通常の人ではないようです。幼い子供の頃、母親が弾いていた「エリーゼのために」を、誰にも教わらず、弾いてしまったそうです。そして、ピアノが好きで好きでたまらなかった、と語っていました。ジャスのコードなんか一度で、どんどん覚えていったそうです。それが、後に、あの激しいフリージャズにたどり着きます。

とにかくタモリと山下洋輔との出会いこそ、なにか、まったく新しいものが、生まれる、きっかけだったに違いありません。

ここからは、そのヘンテコな出会いの物語の引用です。(ウィキペディアから)
(興味のない人は、無視してください)

「1972年、渡辺貞夫の福岡でのコンサートのスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテルで終電がなくなる時間ギリギリまで飲みながら話し込んでいた。いざ帰ろうと部屋から出た際、やけに騒がしい一室があり、通りがかり様に半開きになっていたドアから中を覗いた。室内では、ナベサダのコンサートに同行していた、山下洋輔トリオ(山下洋輔、中村誠一、森山威男)が歌舞伎の踊り、狂言、虚無僧ごっこなど乱痴気騒ぎをしていた。そこにタモリは乱入する。中村誠一が被っていたゴミ箱を取り上げるとそれを鼓にして歌舞伎の舞を踊り始めた。山下トリオの面々は「誰だこいつ?」と動揺するが、中村は機転を利かせてその非礼をデタラメ朝鮮語でなじった。しかし、タモリはそれより上手なデタラメ朝鮮語で切り返し、その後、タモリと中村のインチキ外国語の応酬が始まる。タモリが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下は呼吸困難になるほど笑ったという。始発が出る時間まで共に騒ぎ、タモリは「モリタです」とだけ名乗って帰宅した。

「この男はジャズ・ファンに違いない」と確信した山下は、博多のジャズバーに「モリタ」という名前の男はいないかと片っ端から問い合わせたという。その後、とあるジャズバーから「喫茶店の変人マスターでは」という情報が入り、タモリと山下は再会することになる。この時期、タモリは転職して喫茶店のマスターであり、ウィンナ・コーヒーを注文すると、ウィンナーソーセージが入ったコーヒーを出すなど、地元では奇妙なマスターとして有名であった。タモリがマスターを勤める喫茶店はライブ喫茶照和の近辺にあり武田鉄矢もアマチュア時代に店に行ったことがあるという。再会後は、山下トリオが九州に行く際に共に遊ぶ仲間となり、山下のエッセイでしばしば取り上げられる、知る人ぞ知る存在となる。

1975年春には、山下が行きつけだった、新宿ゴールデン街のバー「ジャックの豆の木」で、「山下がそんなに面白いというのなら一度見てみたい」とタモリを上京させる機運が高まり、バーの常連(奥成達、高信太郎、長谷邦夫、山下洋輔、森山威男、坂田明、三上寛、長谷川法世、南伸坊ら)により「伝説の九州の男・森田を呼ぶ会」が結成され、同会のカンパによって、1975年6月に上京を果たす[11]。福岡からの上京時に乗ったのは岡山-博多間が開業したての山陽新幹線であった。開かれた独演会では「4か国語麻雀」や「中国で作られたターザン映画に出演した大河内伝次郎の宇宙飛行士が、宇宙船の中で空気洩れに苦しんでいる様子」などのリクエストを含めた即興芸を披露し、筒井康隆、唐十郎ら臨席した全員を感動させた。」

本日オープンハウスで現場待機していましたら、

ノラネコが近づいて来て、こちらをしきりに警戒しながら、くつろぎ始めました。

もっと誰もいないところに行けば、気兼ねなくゆっくりのんびりくつろげるのに、

と思いましたが、それはそれでかわいいヤツでした。

ネコはホントに自意識過剰ですよね。

以上です。

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HIDEのケーキ♡

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メロン丸ごとケーキです。(美味しかった!)

とっても甘いジューシーなメロン♪

メロン好きな人にはたまらない一品。

「自分へのご褒美にいかがですか?」