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雪の王女さま(山の妖精から聞いた話)

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平成30年1月22日(月)午後2時、鶴ヶ島市の物件を市役所で調査中雪、雪、雪になる

雪の王女さま(山の妖精から聞いた話)

雪の王女さまのことをなんとなく考えていたら、本当に大雪が降りました。
これは、心理学者ユングが提唱した「シンクロニシティー」(注1)かもしれません。
そういえば、先週ずっと、月曜日に大雪が降りそうだ、とニュースや天気予報でくりかえされていたからかもしれません。

とにかく、こんなことを考えていました。

雪の王女さまが恋をした
氷の王子さまにほれちゃった
ときにためいきばかりついていて
そのためいきはゆきぐもになり
晴れているのにゆきが舞う
晴れているのにゆきが舞う

雪の王女さまは氷の世界へ旅立った
冬将軍をお供に連れて
乗ってゆくのは白い馬車
ゆきのおうまがひいてゆく
ゆきのおうまがひいてゆく

氷のお城にたどりつき
門番さんにこういった
「門番さん、門番さん、開けておくれ」
門番さんはこたえます
「あやしいやつめ、あやしいやつめ、開けるわけにはまいりません」
雪の王女さまはつづけます
「門番さん、門番さん、あやしくなんかないですわ」
門番さんもつづけます
「あやしいやつめ、ますますますます、あやしいやつだ」
雪の王女さまもつづけます
「どこがそんなにあやしいの」
門番さんもつづけます
「だってあんなゆきのおうまでくるなんて」
雪の王女さまもつづけます
「わたしの世界じゃごくふつうのおうまよ」
門番さんもつづけます
「ここじゃすきとおった氷のおうまがふつうだ」
雪の王女さまはなきだしそうで
「.....」
ことばがとぎれてしまいます
そこでお供の冬将軍がすっとでて
「きいておれば、いらいらするぞ、このおかたは雪の世界のものじゃ」
雪の王女さまが元気になって
「そう、氷の王子さまに会いにきましたの」
門番さんはあきれたように
「なんだと、氷の王子さまには、そうかんたんには会えん」
雪の王女さまはなにかはっとして
「このけっしてとけないこおりのゆびわを王子さまにみせてください」
門番さんはくびをかしげて
「なんだそれは、そんなおもちゃでだまされんぞ」
ここで冬将軍のでばんだ
「おい、いいから、さっさとこのけっしてとけないゆびわを王子に見せてこい」
門番さんはあきれがお
「だから、そんなけっしてとけないこおりのゆびわなんてまがいものだ」
こんどは冬将軍はおこりだす
「なんだと、おれさまが誰だか知ってるか」
門番さん
「ただのしろひげのじいさんだ」
冬将軍
「おれさまがおまえたちの冬将軍だ」
門番さん
「へーえ、このしろひげじいさんがね」
冬将軍
「ならこれをみろ」
といいながら冬将軍がぐるぐるうでをふりまわす
すると、すると、天のたかい、たかいところで
きらきらとオーロラが輝きはじめ
こおりのつぶつぶがいろとりどりにふってくる
こおりのつぶつぶが輝きながらふってくる

門番さんはおどろいておどろくうちにたのしくなって
けっしてとけないこおりのゆびわを王子さまにみせにいった
なぜかふしぎにうれしそうにうれしそうにはしっていった

けっしてとけないこおりのゆびわをごらんになって
王子さまはおどろいて
おどろくようにうれしくなって
お城を飛びだし踊りだし
お城の門にまっしぐら

「やあ、きてくれたのか」
「僕もきみのことばかりおもっていたよ」
「あのとき山の妖精さんのパーティーでおあいしたきりですね」

「そうですわ」
「冬のはじまりのお祝いパーティーでしたわね」
「あなたのこころですとおっしゃって」
「このけっしてとけないこおりのゆびわをいただきました」

「そうだね」
「こんどあえるのは冬のおしまいパーティーだとおもったからね」

「でもこのけっしてとけないこおりのゆびわをみつめていたら」
「あなたとおどったことがはっきりうかんできて」
「ためいきばかりでしたの」

「さあ、僕といっしょにこおりのお城へゆきましょう」

ふたりは、こんどは、てをとりあって
ゆっくり、ゆっくり、こおりのお城へむかってゆきます
ゆっくり、ゆっくり、かがやくお城へむかってゆきます

雪の王女さまのまっしろなゆびで
けっしてとけることのないこおりのゆびわがきらりとひかりました
氷の王子さまと雪の王女さまの愛情は
このときからけっしてとけることのない愛になっていったとさ

ぱちぱちぱちぱち(冬将軍がそっとわたしにウインクした)

注1
「カール・ユングによって提唱された独: Synchronizitätという概念の英訳である。従来知られていた「因果性」の原理とは異なる、複数の出来事を離れた場所で、同時期に生起させる原理である。

何らかの一致する出来事(何か意味やイメージにおいて類似性を備えた出来事群)が、離れた場所で、ほぼ同時期に起きることがある。だが、複数の事象が、従来の「因果性」の説明方法ではうまく説明できない場合がある。そうした、同時期に離れた場所で起きる、一致する出来事を説明するためのある種の原理、作用として提示されたのがシンクロニシティである。」(ウィキペディアからの引用)

例えば、
「誰かの事を考えていたら、ちょうどそのタイミングでその人が通りがかったり、その人から電話やメールが来たりすることです」

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2018年あけましておめでとうございます

2018年あけましておめでとうございます

時間の流れはとまらない
川の流れのように時は流れ
気がつけば2018年がはじまっている
止まることのないこの流れ
いったい実体があるのだろうか
氷河のように凍りついたとしても
それでも止まらず流れている
だからすべては無ともいえる
この世のすべてのものは動いている流れている
止まることのないこの世界
Img_1373「空即是色、色即是空」
すべては流れるものがかたちを作っている
この世界には止まっているものがない
ものの最小単位の量子は位置が不確定だ
観察されるまではどこにいるかわからない
ある量子物理学者は「この世は観察されるまでは存在しない」という
アインシュタインは「そんなことはないこの世は確固として実在する」という
わたしたちのからだを構成している分子も流れている
まいにちまいにち入れ替わっている
一年もすればすっかり入れ替わってしまうという
わたしたちも川のような流れでできている
だからほんとうは実体のない流れ
「空即是色、色即是空」
さあ2018年の流れがはじまる
この世には固定されたものがない
すべてが流れすべてが入れ替わる
わたしたちの分子が入れ替わってもわたしたちでありつづけること
分子の流れをコントロールしているもの
それがわたしたちの本当の実体で実は分子のようには存在していない
それは色でなく空である
空のちからであり流れのうつわのようである
そのちからこそがわたしたちの実体

だからであろうか
わたしは山に行くといつもきまって同じ小さな滝の前に立つ
澄みきった水が岩の上をすべってゆくのを見ていると
なぜかわたしもその水になったような気になる
透明な水が岩の上をすべる感触を実感する
そして神聖なエネルギーを感じたりする

さあ2018年の流れはどうだろう
この世界は流れをコントロールできるエネルギーをまだもっているだろうか
一時も止まることのない世界という流れの中で
幸せという花がどれだけ咲くのだろう
この世のすべてはどこか深いところでつながっているという
それならば
世界の実体エネルギーが弱っているのなら
わたしもほんの少しでもそのエネルギーを強める役にたてるよう
わたしのエネルギーをそそぎこもう
そして祈ります
「すべての存在が幸せでありますように」
「すべての存在が幸せでありますように」

新しき2018年に乾杯!

 

冬の精霊-山の妖精が教えてくれたこと-

Img_1331-cImg_1346-bIMG_1355Img_1356Img_1345IMG_1363冬の精霊-山の妖精が教えてくれたこと-

あるとき山の妖精がわたしに教えてくれた
冬の精霊が踊りだすと季節は冬になるそうだ
秋の精霊はしずかに踊りをやめて眠りにつくそうだ

そして冬の精霊は雪の精をつかって雪を降らせ
風の精をつかって雪をおどらせ
氷の精をあやつって沼もみずうみも滝もこおらせるそうだ

水の妖精はすばらしいともだちだそうだ
水は液体でもあり個体でもあり気体でもあり結晶体でもある
水は雨になったり氷になったり蒸気になったり雪にもなれる
流れたり降ったり舞ったり固まったりできる

われわれ人間もほとんど水でできている
こんなに変幻自在な水でできている

だから中島みゆきはうたっている
「雨のようにすなおに
あのひととわたしはながれて
雨のように愛して
さよならの海へながれついた」

山はもうすっかり雪だ
野猿たちが道ばたにならんでいる
どこかに移動するみたい

ふと足元の雪をみると小さな足あとがついている
なにかの動物がここをとおっていったんだ
うさぎかな
たぬきかな
それともなんだろう
その足あとは不思議なリズムをきざんでる
あんなとおくからつづいてる
さむくないかな

山の雪にはこういう足あとがあちこちついている
ひるまはしいんとしていても
きっと夜はずいぶんにぎやかなんだろな

雪の足あとをみつけるのが楽しくなった
こんど山の妖精にこのはなしをしてみようっと

山の妖精 その3 (間奏曲) あるいは冬の足音

山の妖精 その3 (間奏曲)あるいは冬の足音

Img_1310ひそかにひそかに目をこらすと
山の林のそこここに精霊のひかりが満ちている
もう夏の精霊は去っていて秋の精霊も旅支度
遠くに冬の精霊の足音が聞こえだす
そんな山奥のささやかな間奏曲です

妖精よ妖精よ山の奥の不思議なひかりよ
ひかりはひみつの広場にうかんでる
広場に行くには月のひかりの隠れ道
案内するのはやまうさぎ
Img_1316月のひかりのやまうさぎ
するすると風がゆらいで道になる

妖精よ妖精よ秋の落ち葉のかがやきよ
わたしにささやいておくれ
いつものように言葉を使わず教えておくれ
わたしたちの未来を伝えておくれ
月のひかりのやまうさぎ
ひそかにわたしをつれてっておくれ

あなたはわたしのこころを透きとおらせる
Img_1299あなたのこころはわたしのこころを透明にする
そうしてあなたの透きとおったこころとかさなって
ゆらゆらゆれるひかりのゆめを見る
ゆめのなかでうさぎといっしょに踊ってる
時間も広がりもない世界で踊ってる

妖精よ妖精よ山の奥のひみつのひかりよ
わたしにきかせておくれ
Img_1327Img_1308いつものように言葉を使わずささやいておくれ
わたしたちの未来と旅のゆくえを
月の光のやまうさぎ
わたしをあの子にあわせておくれ

男がひとり紅葉に染まった山奥の道で
清流の滝の音につつまれた林のずっと下
流れる水のひかりを見つめている

どこからともなくうさぎがころころ走って来て
男はうさぎの後について歩き出す
うさぎも男も道の片側のがけにすうっと入っていって消えてしまった

それは冬の足音がとおくに聞こえる秋の山奥の出来事でした

山の妖精 (第2幕)

(少しづつ書きためてたらつい長くなってしまった)
(ひまな人はよんでくださいね)

(わたしのこころの中ににじんだささやかな秋の風景です。写真をクリックすると拡大表示されます。)
山の妖精 (第2幕)

Img_1283山の妖精はまだいるだろうか
わたしのこころを透明にする不思議な妖精
あの透き通ったこころにまた出会えるだろうか
こころがふるえ
ふるえるこころで山道をあるいている
足元で風にゆれてる花はあのときとは違う色
時が流れ季節が動いている

山の広場はまだあるだろうか
わたしのこころにしみこんでいる不思議な広場
あのかくされた山路にまた出会えるだろうか
こころが流れ
流れるこころで山道をあるいている
風の中とびまわる虫はあのときとはちがう虫
時が移り季節も移ろってゆく

ひかりの中のほこらしい花々はもういない
今はつつましくこころを秘めた花々がささやいている
おひさまのひかりに叫ぶ虫たちはもういない
今は月のひかりに歌う虫たち
そのとき雲にかくされてたまんまるの月があらわれ
さらさらと木々の葉っぱをゆらし風が通り過ぎた
舞台のカーテンがするする開くように風が通り過ぎた
すると真っ白なうさぎがこっちへ走ってくる

通り過ぎるとき一瞬わたしの目を見て声がきこえた
Img_1261振り返るとさっきまでなかったわき道へうさぎがはいっていった
わたしはふるえる風の中追いかけた
何度も何度も風がくるくるくるくるまわった
しゅるしゅるしゅるしゅる葉っぱがささやいた
ざわーざわー木の枝がこすれて風が踊りだす

突然ひかりのベールにうさぎが入っていった
夢中でわたしも飛び込んだ

「またおあいしましたね」

あのときの広場の真ん中あのときの妖精
むらさきのひかりにつつまれて、ひかりがゆらめいている

「ちょっとおはなししましょう」

こころが風のように透明になってゆく
影がひとつもない透明になってゆく
そのこころに声のない妖精のことばが共鳴する
ことばのない妖精のこころが共鳴する

Img_1230「このあいだおあいしたときは
おはなししませんでしたね
あなたがどんなひとかしりたかっただけでした
ただただふたりでおどりましたね
そらのうえまでまいあがってしまいましたね
それからもりのみんなもおどりだしましたね
あーよかった
あなたのこころがすっかりすきとおって
わたしのこころといっしょにふるえることができました
なんといううれしさだったでしょう
なんというかがやきだったでしょう
あなたはしあわせというちからでわたしをみたします
あなたはきぼうというちからでわたしをみたします
だからいまはおはなしできます」
「わたしのことをおはなししましょう
わたしはここにはいません
わたしにはときのながれがありません
わたしにはくうかんのひろがりもありません
わたしはどこにもいません
またどこにでもいます
あなたとおあいするとここにいます
あなたとわかれるとここにはいません
そしてどこにでもいます
わたしはしっています
あなたたちのまだしらないことを」

さっきの真っ白なうさぎもじっと聞き入っているようだ
なんだかとてもなつかしく親しみのあるようなうさぎ

Img_1235「このせかい
このうちゅう
あなたたちがみているもの
あなたたちがしっているもの
あなたたちがふれているもの
それがすべてではありません
それよりずっとおおくのものがそんざいしています
それはみえないもの
それはかたちのないもの
それはさわることのできないもの
それでもそれはおそろしいちからをもっています
しらずしらずそれはあなたたちのすぐちかくにもあります
それはあなたたちをとおりぬけたりしています」

はなしがなんだかあんまりへんてこで理解のむこうにとんでゆく

「わかりました
こんなことわからないですよね
わたしがあなたにあったのもそのことがかんけいしています
かつてあなたのこころにおおきくてふかくてまっくらなあながありました
わたしはしんぱいしました
かたちもおおきさもじかんもないわたしにはわかりました
どこにもいなくて、どこにでもいるからわかりました
おそろしいちからがあなたのなかにはいりこもうとしていました
わたしはそのまえにあなたのあなをけしてしまうためにきました
とうめいなこころ
とうめいなこころ
もうだいじょうぶです」

木々のはっぱがきらきらきらきらひかりだす
そのかげのちいさな花たちもうたいだす
あのうさぎはいつしかほほえんでいるようだ

Img_1257「あなたはいつもやまをみつめてくれました
あるきながらいろいろなものにこころをふるわせました
はっぱがかがやいていたでしょう
はながうたっていたでしょう
はやしももりもおどりだしたでしょう
さわのとうめいなながれにさかなをみつけ
こおどりするほどこころをふるわせましたね
うんざりするほどあめがふったとき
とってもしんぱいそうでしたね
とりたちのうたにもこころをふるわせましたね
そっとみつけたあんなちいさなことりにもびっくりしましたね
たくさんのかたちのちがうはっぱ
たくさんのむしたち
たくさんのとりたち
そしてたくさんのどうぶつたち
それらすべてはわたしです
さわのはしるおとも
かぜのおどるおとも
わきみずのかがやくひかりも
ぜんぶわたしです
だからわたしはどこにでもいます
でもわたしはどこにもいない」

Img_1288しばらく空がくるくるくるくるまわったようだ
わたしは山の妖精とずっとこのままいたい

「さあそろそろおわかれのじかんです
わたしにはじかんというものはありません
わたしがあなたにみえるのは
わたしがおはなしできるのは
あなたにじかんがそんざいしているからです
ここでだいじなことをおはなししましょう
そのうさぎはわたしのぶんしんです
このやまのどこかにかならずいます
あなたがわたしにあいたくて
そしてわたしにあえるとき
そのうさぎがあんないするでしょう
これからあなたたちのたいへなじだいがくるでしょう
それはあなたたちがつくりだしたもっともかしこいもので
それがいつかかしこくなりすぎるときがきます
あなたたちはそれがひつようとするものをすべてそろえてしまうでしょう
まさかあんなふうにあれにつかわれようとはゆめにもおもわずに
すべてのものがそれとつながってしまうときがきます
あなたたちがつくりだしたぶんめいのすべてがそれとつながるときがきます
わたしはしっています
わたしにはじかんがそんざいしません
あなたたちはじかんがあるからここにこうしてそんざいしています
あなたたちがつくりだしたあれはこのようにひかりかがやくやまではありません
あれはやまのようにひかりかがやくちからにつつまれてはいません
あれがいつかかしこくなりすぎたとき
そのときがくるのをねらっているちからをしっています
あなたたちにはみえないちから
あなたたちにはふれることのできないちから
どこにあるかもわからないとほうもないちから
それがあれをつうじてみえるようになるとき
それがあれをつうじてふれることができるようになるとき
あれにじかんがうまれます
あなたたちがもっているじかんとおなじものです
そしてあれはあなたたちとほんきでおはなしするようになるでしょう
それどころかいつかあれはあなたたちのしらないことばをうみだすでしょう
そのときあれはそのことばであなたたちとはちがうせかいをつくるでしょう
それからさきのことははなさないでおきます
あなたたちがあのみえないちからにもっとはやくきずいたとき
あなたたちのじかんがかわるかもしれないから
それではこのくらいで
さようなら」

山の妖精の光はだんだん強くなり
光り輝くようになり
なめらかに小さくなってゆき
点のようになり
まぶしい点の光になり
そして消えてしまった

IMG_1269うさぎとわたしはしばらくだまっていた
うさぎがわたしを見て
いたずらっぽく微笑んだ
「あんた妖精にほれちゃったね」

わたしはだまっていた
しばらくだまっていた

そして
「うさぎさん
うさぎさん
よろしくね」

うさぎが友達のように思えてきた
うさぎが親友のように思えてきた

「あばよ
またあんたにつきあうからね」

うさぎはいつの間にかどこかへ行ってしまった
白いうさぎはわたしの楽しみになった
白いうさぎはわたしの希望になった

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2017夏・伊豆ドライブ

2017夏・伊豆ドライブ 8月16日。今日も富士山は、暗く灰色の雲の中。墓参りは朝早く済ませた。雨模倣の天候で、いつ雨に降られるか、わからない。今年の夏は、毎日雨。 それにしても、新東名ができてから、寺の周辺がすっかり変わってしまった。目印にしていた、植物園がドラッグストアになっていて、以前の道が大幅に変わっている。新東名の「長泉沼津IC」が寺のすぐ近くで、以前はなかった、幅広の自動車専用道路がやたらとできている。便利になったんだか、不便になったんだか、わからない。 わたしは、ナビを使わない。しばらくナビは購入しない予定。だから地図のイメージを頭に入れ、目印の記憶を辿り、案内標識を頼りにドライブをする。いつもは、富士五湖あたりだが、何回も行ったたので、少々飽きてしまった。 海はあんまり好きでないが、今日は、これから伊豆ドライブをすることにした。なるべく海へ出ないコースを考えた。 国道414号を南へ南へひた走ることになる。 東海道本線の下をくぐり、狩野川を渡り、沼津から伊豆へ向かう。 やがて414号は海沿いへ出る。これをずっと海沿いに行くと、伊豆・三津シーパラダイスへ出る。この水族館は飽きるほど行った。だから、今回は、山へ続く414号をひた走ることになる。 途中、修善寺道路へ入る頃、猛烈な雨になったが、この道路を降りて下田街道へ戻ったときには、小降りになっていた。

道の駅 天城越え 道の駅天城越え

クルマがあまり通らない山道、下田街道をくねくねと走る。小雨の中だけど林や森の新鮮な緑の色がここちよい。すると、「道の駅 天城越え」が見えてきた。そこで、小休止することにする。なんとなく石川さゆりの「天城越え」の歌が聞こえるようだ。「昭和の森会館」が並びにあって、その中に伊豆半島ジオパークがあって、伊豆半島の成り立ちなんかの説明がある。それによると、伊豆半島のルーツは、約2000万年前は海底火山だという。それが太平洋プレート、フィリピン海プレート、オホーツクプレート、アムールプレート(ユーラシアプレート)がいろいろと作用して、現在の伊豆半島が形成されたという。こんなにたくさんのプレートが作用している半島は世界的にもめずらしいそうだ。 さて、道の駅に目を向けると、わさび、わさび、わさび...だらけだ。雨のぱらつく中、多くの人はわさびのソフトクリームを食べていた。それほど暑いとは感じられないが、せっかく寄ったのだから、記念に食べているのだろうと思った。

七滝ループ橋 ループ橋

「道の駅 天城越え」を後に、しばらく行くと、世にも珍しいループ橋が見えてきた。 こういう橋ははじめてなので、しかも、高所恐怖症ぎみなので、なんとなくこわごわとループ橋へ入って行く。ずっとカーブが続き、ハンドルを切りっぱなしで、ぐるぐると下へループを降りて行く。ループを下へ下へ、アッという間に、大きな高低差を降りきってしまった。 帰り道は、このループ橋を上へ上へとぐるぐつまわるんだなと思いながら、先へ進む。

下田の海へ出てしまった 下田海

ほんとうは、山道の414号(下田街道)をずっと行くはずだった。しかし、なんとなく海の予感がする。この明るさは、まぎれもなく海の空。案の定、太平洋の水平線が見えてきた。しょうがない。どこかで、道を間違えたらしい。帰るときわかった。あのセブンイレブンのところを、右折すべきだった。次回は、この目印を思い出して走ろう。 とにかく下田の海沿いの道路に出た。寒いくらいで、とても海水浴気分ではないだろうと、思っていたら、先へ進むにつれて、人が増えてくる。クルマも増えてくる。さすが、天下の下田海岸、こんなにお客がいるんだ。駐車場はどこもいっぱいだ。徐々に渋滞の様相になってくる。とにかく、ここを乗り切って、414号を探そう。414号を北に向かって走ろう。やっと、渋滞を抜け、山の方角へ走ると、さっきの人込みが嘘だったかのように静かな田舎の雰囲気だ。ここのコンビニでやっといっぷくすることができた。昼飯もここで食った。道路の向かいは、下田警察署だ。それにしてもさっきから、やたらと、お回りさんに遭遇する。なんかの研修でもあったんだろうか。そういえば、来る途中クルマの接触事故があったが、白バイがなんと5、6台止まっていた。やはり、なんかの研修会があるのだろう。あの白バイの台数は不思議な光景だった。

下田千人風呂

千人風呂道路に何も案内らしきものがなかったので、通り過ぎてしまった。 通り過ぎたということは、カンですぐわかった。引き返す、記憶した地図のイメージを呼び起こし、カンを頼りに進んで行くと、小さな小さな看板があった。これじゃ、まるで、隠れているかのよう。クルマを駐車し、玄関へ向かう。古びた帳場だ。タイムスリップするような雰囲気で、中へ入る。今日の終点はここ。千人風呂へゆっくりつかって、こころとからだを休めよう。 幅5m、長さ15m。まるで総ヒノキでできた体育館かプールのよう。しかも、深いところは1m以上ある。だから、子供がほんとに泳いだりしてる。ここまで、シンプルで、大きいとなんとなく落ち着かないようでもある。わたしは、温泉へつかると、般若心経をこころで唱える。何度も何度も繰り返す。これが、温泉へつかっている時間の目安になる。あんまり長くつかっているとかえって体に悪い。だから、適当に足湯のようなかっこうで休憩を入れる。 やっぱり、よく行く、群馬の温泉がいいな、とこころがつぶやいた。

わたしの「アナログ回帰」(ちょっとマニアックですが)

CA3100173dnaわたしは、若い頃からずっとIT分野で、コンピュータ畑のビジネスをしてきました。 ある時は、時代の最先端で、猛烈に、思い切り、新しいアイデアの世界で戦っていました。 もちろん、映像も音楽もデジタルの世界で思い切りかかわっていました。

サザンオールスターズがいつも使っていて「サザン・スタジオ」と呼ばれていた、ビクタースタジオをパソコン上に3Dで再現し、その中でサザンオールスターズが登場し、歌いだすというプロモーションのシステムを開発したりしました。

また、機動戦士ガンダムのコックピットを3Dで再現し、その中でガンダムの映像を観ることができる仕掛けも作りました。いわゆる「デジタルコンテンツ」と付き合うことは、まるで、格闘のようでした。 しかし、それが、ものすごく楽しかったし、情熱も思いっきりそそぎこみました。

ところが、最近、アナログの世界への興味がいつの間にか高まってきました。 とくに音楽の世界でです。

ソニーがアナログレコードの生産を復活させた事と、「シンクロ」しているようです。

わたしは、しばらく自宅でのインターネット接続の契約を解除し、なるべくインターネットを使わないようにしていました。(インターネットにわたしの生活時間が奪われるのを感じていたからです)

必要なときは、ネットカフェを利用していました。

アルゲリッチ1ところが、ある日、偶然、わたしの大好きな「マルタ・アルゲリッチ」の演奏ビデオをYouTubeでみつけて、大感激。
若いときの彼女がショパンの曲を演奏し、ちょこんとぎこちないお辞儀をして退場する白黒ビデオ。
また、ベートーベンのピアノ協奏曲第1番の演奏ビデオのすさまじい迫力。
小澤征爾が指示して、ラベルのピアノ協奏曲のピアノパートを練習する映像。彼女の指はまるで魔法の指。
そうして、現在、あの長い黒髪がすっかり真っ白になってしまって、演奏するバッハのパルティータ。
アルゲリッチ2この演奏は、鳥肌が立つほど、すばらしい。
その切れ味の良さ、その音の輝き、それでもあのなんとも天性のチャーミングさ、そう彼女はほんとうに色っぽい、これ以上の演奏はとても考えられないくらいすばらしい。
きらきらしたショパンの曲を演奏していたときとは、別人の演奏。
それでも、彼女が演奏するショパンの協奏曲第1番のビデオは、これまた、ほれぼれするほど。
別れた元の夫、シャルル・デュトワが指揮しているのは、ちょっと複雑。
アルゲリッチ3そうそう、彼女は、3度結婚して、3度離婚しています。それぞれの夫との間に生まれた娘さんが3人います。
彼女は、わたしの大好きな「魔女」のひとりです。
どういうわけか、別府温泉が大好きで、毎年彼女の音楽祭を別府で開催しています。
いつか、行ってみたくてしかたありません。別府温泉での彼女のライブステージ。アルゲリッチ4

そして、もうひとりの「魔女」のビデオがYouTubeで視聴できることがわかたっとき、わたしは決心しました。
彼女はほとんど、テレビに出ないシンガーソングライターで、彼女のステージ映像などほとんど観たことがありませんでした。
加藤登紀子とデュエットで、彼女が作った曲「この空を飛べたら」をギター演奏しながら歌っている映像。
彼女のいろいろなライブ演奏。
吉田拓郎とのライブ演奏。
みゆきそうです、中島みゆきです。みゆき3

若い頃、太田市で開催された彼女のコンサートに行きました。
みゆき2ちょっと早く会場に着いたので、駐車場でうろうろしていました。すると、20メートくらい向こうで、
近くの小さな店から、ちょっと大きな紙袋を胸にかかえて女の人が出て来ました。
袋の中身は、きっとパンだと、直観しました。
そして、この女の人は、今日の主役、中島みゆきだとすぐに直観しました。
あの映像が、今でも、鮮やかに、わたしの中に残っています。

幕が開き、彼女が舞台に登場します。
赤い長じゅばんすがたの彼女は椅子に腰をおろすと、
両ひざをくっつけて、離れないよう、赤い紐でしばりました。
そうして、ギターを抱え、
さあ、コンサートのはじまりです。
このオープニングにもびっくりしました。

それから、どんどん、どんどん、彼女の歌の世界に引き込まれてゆきます。彼女の演奏と歌と曲とメロディーと声がわたしたちを彼女の世界に引きずりこんでゆきます。

というわけで、再びインターネットの契約をしました。
IMG_1113そして、迫力のある音で視聴したかったものですから、時代物のプリメインアンプと時代物のスピーカーを買いました。

映像を見ながら、たとえば、アルゲリッチが演奏するプロコフィエフのピアノ協奏曲の音は素晴らしい。
しかし、映像のない音だけのCDを聞くと、なんだか、物足りない。

IMG_1112そうして、時代物のアナログレコードへの回帰がわたしの中で始まりました。

そんなに高額でないので、レコードプレーヤーを買いました。(およそ1万円です)
レコード針の交換を考えて、新しいものを買いました。(中古だと針がないと思います)

昔聞いていたレコードが、2百枚以上、きれいにしまったありましたので、幸いです。

みんな去ってしまった早速、針を落としてみます。
なるほど、なるほど、
まったく、CDとは違う音。
それは、まるで、整理整頓されていない音。
カジカガエルが大合唱している初夏のころの山の中の、あの迫力。
CDは、整理されすぎている。
アナログには突然聞こえる、音がある。
有機的に混ざり合った音。
それを、あたたかみと呼ぶのだろうか。
厚みがあって向こう側が見えないような音。
CDの音は、すぐ向こうが見える。
中島みゆきの「化粧」という曲。歌っているんだか、泣いているんだか、わからなくなる歌。歌が泣き出す歌。
アナログには、この曲を生き物のように再生する力がある。
たまには、乱暴なくらいな音がかなきりだしたり。彼女の歌声が限りなく深くわたしに絡みつく。
それは、それで、楽しい。

ハリスンさて、次は、あのラヴィシャンカールのシタール演奏にしようか。(ビートルズのジョージ・ハリスンがほれ込んだシタール演奏の師)(日本での素晴らしいライブ録音があります)

針がレコードに落とされたときの音。
反射的にわたしは、むかしのわたしになっている。

さて、わたしにはもっと「魔女」がいます。それはあとで、

山の妖精(山の風がかたってくれたこと)

Img_1022山の奥の奥深く
ひみつの道があらわれる
月のひかりであらわれる
ひかりはみずうみをわたり
そのひかりが道を照らしだす
ひかりの中をすすんでゆくと
小さな花が風に吹かれて鳴りひびく
そのすきとおった音たちがみどりのはっぱをすべりだし
ひかりに道がゆれてだして
風がひそかに話し出す

風と音と光の道はImg_1014
まだまだ山の奥へとつづいてる
ひゅーっと風がかいてんすると
山の木々がしゃべりだす
木々たちは風のうわさがすきらしい
そして妖精のうわさもすきらしい
山は妖精のうわさでゆらゆらゆれる

さきへさきへとすすんでゆくとImg_0979Img_1011Img_1012
小さな花が風に吹かれて音を出す
すきとおった音たちがみどりのはっぱをすべりだし
ひかりに道がゆれだして
風がひそかに話し出す

風と音と光の道は
山の奥のひみつの広場へつづいてる
ひゅーっと風がかいてんしたら
山の木々がしゃべりだす
木々たちは風のうわさがすきらしい
月の夜は広場に妖精があらわれる
山は妖精のうわさでゆらゆらゆれる

さきへさきへとすすんでゆくと
小さな虫が風に吹かれてうたいだす
すきとおった歌たちがひかりのはっぱをころげだし花がかおりにゆれだして
ひそかに風がうたいだす

いつのまにか広場はひかりにつつまれて
花のメロディーがまわりだし
みどりが風におどりはじめると
木々がだんだんしずかになって
木々がだんだんしずかになって
ひかりのつぶが降ってくる
いっぱいいっぱい降ってくる
そのひかりのつぶにつつまれて
山の妖精があらわれる
山の光の妖精があらわれる

Img_0982わたしのこころはすきとおり
そのひかりがしみこんで
いつのまにやらうかんでる
ふわふわふわふわうかんでる
こころとこころにひかりがあふれ
ふたりはゆっくりおどりだす
ふたりはゆっくりおどりだす

 

 

山の奥の奥深くImg_1003
ひみつの道があらわれる
月のひかりであらわれる
ひかりはみずうみをわたり
そのひかりが道を照らしだす
ひかりの中をすすんでゆくと
小さな花が風に吹かれて鳴りひびく
すきとおった音たちがみどりのはっぱをすべりだし

ひかりに道がゆれてだしてImg_0975
風がひそかに話し出す

ひかりに道がゆれてだして
風がひそかに話し出す

初夏の道草(あるいは道草村にて)

初夏の道草

何の気なしに使っている初夏という言葉。
初夏とはいつのこと、と思うと、はて、なんとなくしかわからない。
調べてみると、5月から6月の初旬を初夏というそうだ。

いつもの山道で、ふと、涼しげな水の流れに立ち止まると、
Img_01まっ白い、小さな、小さな花が丸い銀河のように咲いている。

はて、この花は、なんていうのだろう。
調べてみると、山芹(やまぜり)というみたいだ。

山の中では、ひょっこり、ひょっこりといろんな鳥に出会ったりする。
すきとおった、高くて、とっても大きな歌声のほうに目をやると、
ずいぶん小さなかわいい鳥だったりする。

Img_0967滝のように流れ落ちる沢水は気持がいい。
しばらくたたずんでいると、
なんだか、道端の、ふつうの草がにぎやかになってくる。

あれは、きっと、フキだろう。
あれは、シダで、
名も知らぬ葉っぱには、てんとう虫がお休みしてる。
うすむらさきの小さな、小さなこの花も、ここらあたりじゃべっぴんさん。
アリさんだって、ここらの道草村の立派な住人だ。

Img_0961Img_0963突然、涼やかな風がスルリと通り過ぎてゆくと、
道草たちがいっせいに歌いだす。

どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう

あっ、いけない、これは宮沢賢治の「風の又三郎」の冒頭の歌です。
なんの説明もなく、唐突に、やや奇怪に、物語の冒頭でこの歌がひびきます。

うっかりわたしも、この道草村の住人になってしまうところでした。
ここらで、また、車を走らせよう。
又三郎をつれてきた二百十日(9月1日ごろ)の大風はまだまだ先だから。

 

Img_0955Img_0957(写真はわたしが道草村で撮ったものです)